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・金色のガッシュをとりあえず6話ぐらいまで観た。金色のガッシュ、とても良いですよね。僕ほんとに好きです。まだ見始めたところなので、良いところはこれからどんどん出てくるからすごく楽しみ。

屋上で清麿が来ることを一瞬も疑わないガッシュとか、「自分に嘘をついておらぬか」と清麿を焚き付けるガッシュとか、「化け物だけでは辛すぎるではないか」と雨に濡れながら溢すガッシュの気持ちとか、あとは清麿とガッシュのことを始めてみたときのシェリーの気持ちとか、もう本当初っぱなから良いところしかないっすよね。是非、心に一人ガッシュを持って生きていきたい。

 

 

・人間は歴史から学ばない。というか、今を生きる当事者である私たちは、日常的なことを無意識に抽象化することができず、過去の失敗の二の舞を舞っていることに気づかない。結局、すべてが終わったあとに「あぁ、これはあのときと同じ過ちを犯したね」と反省するばかりである。

例えば、最近はマナーという名目で色々な言葉が場面によって制限されている。これは結局新たなマナーを生み出すことで得をする人らがいるからに他ならない。はずなのだが、マナーを守っていれば自分は正しく、マナーを守っていない人間を弾劾できると思わせることで本来抑圧されてる側の人間に優越感を持たせられるし、結果自分で自分の首を絞めていく結果となる。僕はこれと似たもので16世紀ヨーロッパにおける宗教改革前後の流れを知っている。あの時は、協会側の利益のために「協会から贖有状を買うことがよい行いだ」とした。形式的な行為という簡単なもので信仰を示せることで短絡的な人間にとっては買うしかないとなるし、しかも協会としては売れれば売れるほど金が入る美味しい制度だ。形式を人々売って、正しさを勝手に認め、バックにいる組織が金を得るという構図がまさにそっくりではないかと思う。ではその後どうなったかといえば皆さんご存じの通り、ルターによる批判などを経て信仰は行為ではなく心だという批判が出たわけである。これもマナーの件によく当てはまるのではないだろうか。

この例はかなり長いスパンで考えたが、戦前の人らが考えたことを、戦争を知らない世代が多数となった今では忘れて結局似たようなことをやってるとか、オウムのことを忘れて似たようなことをやってるとか、よくよく探してみるとあちこちで歴史を再生産しているように思える。まぁだからといってどうしろというわけではないのだが、歴史を学んでおくと、自分のためにはなるかもねって話。