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僕は海が本当に好きだ。

まず水が10000メートルも積もってるっていう状況がすごく好き。正直想像を絶するスケールだ。海溝以外でも6000メートルとか積もった水。生身の人間は浅いところでしか存在を許されないけど、水って水中においては自由に高低を移動できる、好きな深さで浮遊できる。言ってしまえば標高6000メートルの上空(媒質は空気ではなく水だが)を自由に漂えるなんていうことを想像するとすごくないですか?深さじゃなくて広さを見ても到底想像できる範囲のものではない。海を見に行けばその大きさに圧倒された経験は誰でもあるだろう。あの面積、あの深さの水が存在する世界、それが海なわけである。

そんな海の中でも僕は特に深海に格別な興味がある。別に奇怪な姿をした深海生物に会いたいわけでも、深海に眠る資源に興味があるわけでもない。深海という場所そのものへの憧れがあるのだ。

その底に注目すれば広大な地面が広がっていて、でも光は途中で途絶えているから周囲は何も見えないほどの暗闇。そこに自分が存在する瞬間を想像する。生命も稀にしか見られず、稀に出会ったものすら視界が閉ざされた世界では感知できない。圧倒的な孤独。その空間を構成する水は熱塩循環と呼ばれる海水の移動で極々ゆったりとだけ流れている。そしてどこまで行っても果ての見えない大地。想像しただけで死ぬほど緊張してしまう。その中空にはさらなる虚無がある。前後左右、どこを向いても想像できないほどに広がっている暗黒の世界。海のアトラスなどでは何もない場所として描かれているこの中空部分が海の大部分を占めている。このあまりに広く、光の少なさからあまりに手がかりのない空想中の海中の空間は、宇宙とはかなり毛色の違う孤独を想起させる。そしてそのゾクゾクする緊張感のようなものを発する存在が、地上からあんなに間近に見られる海の奥底に眠っているという、日常とのある種の連続性が僕を強く惹き寄せるのだ。

以前は海山も含めた深海のダイナミックさについても触れていた。正直、自分でもなぜこんなに海に魅せられているのか未だに曖昧でよくわかっていないし、当然ここに書いた内容も何言ってんだと言われるようなものでしかないが、これらが僕が海を好きな理由の一端であると思う。